・2019年5月14日例会


514日(火)

大和郡山三城(小泉城・筒井城・郡山城)を巡る

天守台展望施設から平城京への大眺望

大和小泉駅―小泉城跡―金輪院―片桐公民館―

南部公民館―筒井城跡―順慶堤―郡山金魚資料館―

大納言塚―郡山城址公園―郡山城―JR郡山駅

 

本日のコースは、中世に郡山に有った三城を巡ります。

あいにくのうっとうしい空模様のなか73名もの方が、10時に大和小泉駅へ集合していただきました。田中リーダーのコース説明のあと、小泉城址へ向かいました。

 

小泉城は、地侍、小泉氏が築城したもので、南北朝期に頭角を現し、高取城の越智氏に属して筒井氏とも度々交戦しました。16世紀に入り越智氏の衰退により、筒井氏に属しました。後、松永久秀の信長への三度目の反逆により攻め滅ぼされましたが、一部筒井氏に従った者も居ました。

この後、豊臣秀長時代には家臣の羽田長門が、徳川時代になって片桐氏が陣屋を築きました。

 

次に金輪院へ向かいます。金輪院は、「小泉の庚申さん」と言う方わかりやすいと思います。戦前は、門前市も出ておおいに賑わいました。片桐氏とのかかわり、庚申信仰、くくり猿(くくってござる)の説明が野村スタッフよりありました。

 

この後、片桐公民館でトイレ休憩後、昼食の南部公民館へ向かいます。

 

本日の薀蓄話は、尾花スタッフの欠席のため、野村スタッフが、代わりに郡山の民話「豊浦のたぬき」の話がありました。

午後からは、筒井城跡へ。今は、何の跡形も無く、内堀は、蓮根畑になっていました。筒井城は広く、東西500メートル南北400メートルもあり、場内に市場も開かれ、屋敷も有った平城でした。この為、再三攻められました。順慶の時、郡山に目をつけ築城します。が、信長の「一国一城令」により、順慶、自らの手で筒井城を廃城にしました。従って何も残っていません。

 

つぎは、順慶堤です。北にある川の氾濫で城内が浸水しないよう、堤の南側(城や住居)を高くして、北側(田畑)を少し低くして水の流れを工作しました。(田中リーダー)

 

この後、金魚資料館で、トイレ休憩と、珍しい金魚を見て、郡山城址へ。この時、おそれていた雨が降り出し、城址の散策もそこそこにゴールへと向かいました。

最後は、雨になりましたが、参加の皆様最後まで有難うございました。本日の距離は、12kmでした。