・2019年11月5日例会


11月5日(火)

邪馬台国の決め手は封印粘土「封泥」

卑弥呼の宮殿では、犬を飼っていた?

JR桜井駅―織田小学校―ケノ山古墳―三輪素麺山本―

木製仮面出土地―犬骨出土地―大型建物群跡―石塚古墳―勝山古墳―矢塚古墳―東田大塚古墳―巻向駅

 

本日のコースは桜井市纏向に存在したといわれる邪馬台国時代の古墳や遺跡を巡る古代史フアンにとっては大層興味を惹かれるコースです。

 

本日の天気は快晴! 桜井ウオーキングクラブの例会は今年よく雨に泣かされてきましたが、本日は稀に見る快晴のウオーキング日和となりました。

 

桜井駅10時集合。中浦会長から本日のテーマのキーポイントである「封泥」のサンプルの紹介に始まり、小山リーダーから詳細なコース説明があり出発です。(写真は桜井駅前での出発式の様子)

まずは大神神社を目指して、桜井市内から三輪地区までウオーキングです。

 

大神神社ではトイレ休憩。ここから山の辺の路をしばらく歩き、神武天皇聖蹟狭井河之上顕彰碑で尾花スタッフよりこの顕彰碑にまつわる解説がありました。昭和15年皇紀2600年を記念行事として、神武東征に関連した地域19か所にこのような顕彰碑が建てられたとのこと。この狭井河のほとりもその一つ。なかなか立派な顕彰碑ですが山の辺の路から少し中に入っているので気づく人は少ないでしょうね。

(写真は顕彰碑前での尾花スタッフの説明の様子)

ここから西に向かい茅原集落にある神御前神社に立ち寄ります。大神神社の摂社で三輪山を背景に鎮座しています。ここで尾花スタッフから解説がありました。御祭神は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめみこと)で、箸墓に鎮まるとされています。なかなか趣のあるディープなところです。

(写真は神御前神社での解説の様子)

三輪の集落を通り、芝運動公園で昼食タイムです。

 

昼食後は恒例の蘊蓄話。本日は尾花スタッフより邪馬台国についての最終回の解説がありました。昼から巡る史跡をますます興味をもって巡ってもらえそうですね。

(写真は芝運動公園での蘊蓄話の様子)

三輪の集落に戻り上街道を歩き、織田小学校の東側を通りホケノ山古墳を目指します。

  

ホケノ山古墳の小高い後円部に登り、さわやかな秋空のもと箸墓古墳や纏向遺跡を望みながら、尾花スタッフからホケノ山古墳について解説がありました。この古墳は古墳時代前期初頭の纏向型前方後円墳ともいわれるホタテ貝型前方後円墳であり、3世紀中ごろの築造ともいわれています。石囲い木槨も発見されています。 

(写真はホケノ山古墳の上にて左が箸墓古墳)

箸中の集落を通り、箸墓古墳の南側の道から回り込んで箸墓古墳の堰堤で、箸墓古墳を望みながら、この古墳について尾花スタッフから解説がありました。3世紀にこのような巨大建造物をよくも作れたものだと感嘆しますね。強力な権力と財力と技術が伴わなかったらなかったらできませんからね。

(写真は箸墓古墳の堰堤にて解説の様子)

次は三輪素麺山本で素麺の試食とトイレ休憩です。今回はにゅう麺の試食があり、また売店では皆さんお土産をお買い上げでした。

(写真は三輪素麺山本にて)

ここから纏向の大型建物跡に向かいます。ここは邪馬台国の宮殿跡ともいわれているところで、遺跡の跡も整備され、大型建物跡の各柱跡には目印の短い柱が建てられおおよその大きさがわかるようになっています。ここで尾花スタッフからこの纏向遺跡について詳しく解説がありました。

(写真は纏向大型建物跡にて説明の様子)

この後、この近くの纏向型前方後円墳といわれる4つの古墳を巡ります。

 

まず纏向石塚古墳。纏向遺跡内では最古の古墳ともいわれており、前方後円墳成立期の古墳として注目されています。ただ墳頂部は太平洋戦争末期に削平されており、残念ながら古墳の面影はありません。

(写真は纏向石塚古墳にて解説中の様子)

次に勝山古墳。古墳時代初期初頭の古墳ですが詳細はよくわかっていないようです。 

 

続いて矢塚古墳。この古墳も古墳時代初期初頭(3世紀中頃以前)の築造。埋葬施設等は未調査とのこと。

(写真は勝山古墳を望む)

最後に東田大塚古墳。古墳時代初頭(3世紀後半)の築造で、前方部が西南に延びています。ここも私有地となっており中には入れないようです。ここで尾花スタッフより本日の総括の解説がありました。3世紀の日本の権力の中心地であった所の遺跡群を巡り、この地から大和王権へと発展していった古代史のロマンを感じていただいたウオークになったのではと思っています。

(写真は東田大塚古墳にて尾花スタッフの解説の様子)

 

1日お疲れさまでした。踏破距離は12km、参加人員は88名でした。 

 

次回は京都きぬかけの路を歩きます。ご参加お待ちしています。