・2020年11月3日例会


11月3日(火)

春日塔跡は『殿下の御塔』に『院の御塔』ー平城京外京に燦然(さんぜん)と聳え立つ塔と塔跡を巡るー

JR奈良駅~東大寺西塔跡~東大寺東塔跡~春日野園地(昼食)~春日大社塔跡~興福寺五重塔・三重塔~元興寺東塔跡・小塔院~大安寺~JR奈良駅

 

 

秋晴れの絶好のウォーキング日和。祭日でもあって120人もの大勢の人が参加されました。今日も尾花スタッフの解説を聞きながらのウォーキングでした。

(写真はJR奈良駅での出発式の様子)

まず東大寺の西塔跡から東塔跡へ。ここに100mに及ぶ七重塔が建っていました。大仏殿の東隣にあるのが七重塔に据えられた相輪のレプリカで、解説では大阪万博の古河パビリオンの一つに展示されていたとのことです。

(写真下左 東大寺西塔院跡 相輪のレプリカ 東塔院跡)

参加者から、何故塔が東西に建てられるようになったのかとの質問がありました。昼食後のうんちく話では「塔の考え方が、時がたつにつれ変わってきたことから、塔の配置が変わってきた」との飛鳥寺や法隆寺、薬師寺などの伽藍の画像を使っての話があり、とてもタイムリーな説明に納得されておられたようです。

(写真下 昼食後の尾花スタッフの蘊蓄話の様子)

春日大社の「殿下の御塔」「院の御塔」は神仏習合の現れ。神社でも五重塔を建てていたのですね。

(写真下 春日大社塔跡での解説の様子)

興福寺の五重塔は、明治時代に入って廃仏毀釈の嵐の中、売却されそうになったとか。三重塔は南都炎上後に再建され、北円堂と並んで興福寺の中で最も古い建物とのこと。元興寺の五重塔は高さ85m、興福寺の五重塔より35mも高かったとのこと。幕末までたっていましたが、「ロウソクのように燃え尽きた」と、当時の様子が記されていました。最後に大安寺。東西七重塔は南門の外の境内地に建てられていましたが、現在は基壇を残すのみです。そして、遠く西の方には薬師寺の東西五重塔が建ち、西大寺にも五重塔が建っていました。

平城宮大極殿からはこれら五重塔・七重塔が聳え立つ景色が見られました。1300年前、仏教文化が花開いた奈良の都の光景を想いながらの楽しいウォーキングでした。

 

次回は、謎の巨石・益田岩船から大理石の礎石が残る川原寺を歩きます。弘法大師空海の足跡と、謎の石造物と見どころの多いコースです。皆さんのご参加をお待ちしています。

(写真下 興福寺三重塔での尾花スタッフの解説の様子)