9月17日(火)
廃線探索③—小房線跡と畝傍線跡を辿る
清酒【出世男】の蔵元・河合酒造を見学
JR畝傍駅―A・B・C・D・E地点―小房駅跡―F地点ー畝傍御陵前駅―G地点―橿原神宮駅前―久米寺―深田駅―K地点―神武御陵前駅跡―J・I・H地点―「花甍」-河合酒造―JR畝傍駅
約2か月の猛暑の期間のお休み後久しぶりの例会です。本日のコースは、小房線と畝傍線の廃線跡を辿るウオークです。このコース、会長が何回も現地の探索を重ねコース設定した力の入った企画でもあります。
本日は暑いがそれなりに風もある、この季節としてはウオーキング日和です。
10時JR畝傍駅集合。会長から、配布した地図や資料に基づいて、この小房線と畝傍線の経緯や、コースの説明がありました。この2つの路線は、昭和15年の紀元2600年の記念行事に際し、全国からの多数の参拝客や奉仕団の人(約1000万人)が来ることに対応するために、鳥居前にあった橿原神宮駅を東に移し路線を付け替えた結果、畝傍線が廃線になり、小房線も昭和27年に廃線になったとのこと。この予備知識を頭に入れて出発です。
まずは畝傍駅から東へ。畝傍駅の東側の踏切を渡って畝傍駅のホームを見ると桜井線の南側に小房線のホームを確認。これがA地点。
ここから桜井線に沿って東に行くと住宅の脇に小房線の橋台跡を確認できた。これがB地点。
さらに道路脇にある小房線の盛土跡を確認。これがC地点。
(写真はB地点)
ここから国道165号線に出て南に歩き、小房観音に行く道に入り途中から路地に入ると、小房線の廃線跡らしく見事なカーブを描いた廃線跡の道路が続きます。
(写真はカーブする廃線跡の道路)
165号線越え、飛鳥川の対岸に渡って橿原市中央体育館の裏の民家の軒先にコンクリートの塊が残っておりこれが小房線の橋台とのこと。これがE地点。
(写真はコンクリート製の橋台)
畝傍北小学校付近の近鉄橿原線の東側に線路に沿って空き地が続いている。小房線の用地と類推できるF地点です。
(写真は近鉄橿原線の左側に空き地が確認できます)
さらに畝傍御陵前駅を過ぎたところからは小房線の用地は道路用地に転じ道路として活用されています。この小房線の終点は当時の橿原神宮駅、現在の二代目・橿原神宮前でした。
(写真はG地点で道路に転用された様子を説明中)
橿原神宮前駅を経て久米寺に行きます。ここでは尾花スタッフから久米寺の由来や久米仙人の伝説について解説がありました。
(写真は久米寺での解説中のところ)
南大阪線を渡って、橿原神宮の深田池付近で昼食休憩です。
午後の出発前、恒例の蘊蓄話は尾花スタッフから橿原神宮の由来などの話があり、また会長からは午後の畝傍線跡の見どころの説明がありました。
(写真は深田池での蘊蓄話の様子)
ジェイテクトアリーナ奈良を越えたところで畝傍線と思われる盛り土が続き、付近に神武御陵前駅跡と思われるところを確認。
(写真は右の樹が茂るところが畝傍線の跡)
民家の裏には、小川を渡るための橋台を確認。これがJ地点。
(写真はJ地点の畝傍線の橋台跡)
さらに大久保神社の鳥居前に橋台が残っています。これがI地点
(写真はJ地点の橋台跡)
さらに北に向かい近鉄八木西口駅から直線状に続く平成記念病院の敷地が畝傍線旧線跡と確認。これがH地点。
(写真は平成記念病院の敷地から南を望む。近鉄橿原線から分岐して畝傍線は南へまっすぐ伸びていた)
ここから今井町に向かい花甍でトイレ休憩。ここでIVVを渡し河合酒造の見学組とゴールへ直帰組に分かれ、直帰組はここでお別れです。
出発前に尾花スタッフから今井町についての解説があり、これを聞いて出発。
(写真は花甍の前で今井町の解説中)
今井町の中にある河合酒造に到着。酒蔵見学ではお店のスタッフから当時のお酒造りの道具を見ながら説明を頂いた。またお酒の試飲で喉を潤しました。お世話になりました。
本日はお疲れさまでした。踏破距離は10km。参加人数は95名でした。
(写真は河合酒造の酒蔵を見学する様子)