・2019年1月22日例会

1月22日(火)

久宝寺御坊から八尾御坊まで歩く

久宝寺~許麻神社~顕証寺~念仏寺~まちなみセンター~美園公園~河内音頭記念館~常光寺~慈眼寺~八尾天満宮~大信寺~久宝寺駅

 

冬晴のウォーキング日和。111人の参加者を迎え、八尾市の寺内町を巡りました。

 

会長のあいさつの後、リーダーからからコース説明があり、元気よく出発しました。

許麻(こま)神社は渡来人が住み着き、祖先を祀って建てた神社との説明がリーダーの田中さんからありました。広い境内に立派な流造の本殿が印象的でした。

掘割の跡を通り久宝寺の寺内町の中心となった顕証寺へ。1470年、本願寺蓮如上人により西証寺として建立されたのが始まり。後に顕証寺と寺号を改めこの御坊を中心に久宝寺寺内町が誕生しました。久宝寺は旧大和川(現在の長瀬川)の船運の要所として、また堺から八尾街道を経て京都に至る主要街道の中継点として栄えたことなど、リーダーから詳しい説明がありました。

そして、碁盤の目のように縦横に通された街路に数多く残る江戸時代の町家、久宝寺城主が始めた学問所など興味深く見て回りました。

大坂冬の陣・夏の陣で河内が主戦場となり、徳川勢の藤堂高虎軍を迎え討つ豊臣方の長曾我部盛親勢が松の木に登って物見をしたとされる「物見の松跡」の説明に、私も皆さんと一緒に、大河ドラマ「眞田丸」を思い浮かべながら聞き入っていました。

まちなみセンターで一休み。111人の一行に、センターの職員さんはビックリしていました。向かいの念仏寺では、お寺のパンフレットをいただきました。

 

 

美園公園で昼食。昼食後の恒例の蘊蓄話では、スタッフの野村さんから“姓・氏・苗字”について興味深い話がされました。庶民が苗字を持つようになったのは室町時代前後。ただ江戸時代は農民が苗字を持っていても名乗れず、“隠れ苗字”を持つようになった。そして、明治時代に入ってから国民全員が苗字を持つようになったとのことです。

午後から河内音頭記念館を通り常光寺に向かいました。臨済宗南禅寺派のお寺ですが、本尊は地蔵菩薩であることから八尾地蔵寺として親しまれています。境内には“河内最古音頭発祥地”の碑が立っていました。また、大坂の役で討取った敵将の首検分をした時に血が付いた板を天井に使ったという“血天上”を見ました。みなさん、怖いもの見たさもあり、気味悪そうな天井を興味深そうに見ておられました。

最後に訪ねたのが八尾御坊と呼ばれた大信寺。大信寺から顕証寺にかけての沿道に露店が立ち並ぶ“お逮夜市(おたいやいち)”が今も開かれています。衣料品や食料品、農機具や苗まで何でも揃う、さながら“ホームセンター”のような市でした。近くに住んでおられたという参加者の方から、「沿道は人で埋め尽くされていた」と話されていました。

参加された方からいろいろ質問が出されたり、説明するリーダーには「よく知ってるなぁ」との声も。歩く楽しみとスタッフによる解説で理解を深める楽しみを味わえる桜井ウォーキングクラブならではの活動をこれからも進めていきたいと思っています。

 

 

次回は2月5日(火)。安堵町を中心に、天理軽便鉄道跡をたどります。是非ご参加ください。