・2019年11月26日例会


1126日(火)

幻の高市大字寺の3つの候補地を巡る

巨大な基壇を持つ吉備家廃寺は百済大寺

桜井駅―吉備池廃寺跡―磐余池候補地―万葉の森―

文武・大官大寺跡―ギヲ山西遺跡―小山廃寺跡―奈文研―

木之本廃寺跡―藤原宮跡―畝傍駅

 

本日の例会は桜井WCの本拠地桜井のディープな歴史ロマンを巡るコースです。

具体的には、天武天皇によって百済大寺を移して造営された高市大寺(たけちのおおてら)がどこにあったかを、3つの候補地といわれるスポットを巡ります。

 

JR桜井駅10時集合。本日は曇り。若干寒いですがウオーキング日和かも?

出発式では会長から来年度の例会の紹介などを交えた挨拶のあと、本日初リーダーを務める飯田リーダーからコース説明がありました。

 

最初の案内スポット吉備池廃寺跡に向け出発です。

吉備池廃寺跡では、吉備池の周囲を半周して金堂跡付近で尾花スタッフから吉備池廃寺についての詳しい解説がありました。この吉備池廃寺は舒明天皇により造営された寺院で、大変規模の大きな寺院であり、ほぼこの寺院は百済大寺であろうといわれています。吉備池を一周して南西の方向に進みます。

(写真は吉備池廃寺跡にて)

次の案内スポットは磐余池候補地の1つといわれているところです。東池尻町の妙法寺を西に望むことができます。ここでも尾花スタッフから本日のテーマからは外れますが、磐余池について解説がありました。

 

妙法寺でトイレ休憩をとって、本日の昼食場所の万葉の森に向かいます。

(写真は池尻東町の磐余池候補地の説明板のまえで)

万葉の森の入り口付近で昼食後、恒例の蘊蓄話がありました。テーマは前回の続きの仏像のお話で、今回は鎌倉時代の仏像について詳しく解説がありました。丁寧な説明で少しは仏像に興味をもっていただけたでしょうか?

(写真は万葉の森でお昼の蘊蓄話の様子)

いよいよ昼からは、本日のテーマの高市大寺の候補地を巡ります。

 

 

香久山の山麓を南に下り、明日香へ。右前方に甘樫丘を望む田圃の中に大官大寺跡(高市大寺とは異なります)の石碑が建っています。ここが文武天皇が造営した大官大寺跡といわれているところです。ここで尾花スタッフから、この大官大寺やこれから巡る高市大寺について解説がありました。天武天皇は舒明天皇が造営した百済大寺を高市に移し、高市大寺を造営し、高市大寺改め大官大寺と号したといわれています。この時代の寺院の代表は、この大官大寺、川原寺、飛鳥寺の3寺院であり、筆頭がこの大官大寺です。ということでこの大官大寺(高市大寺)がどこにあったかというのが本日のテーマです。候補地は3つ。一つはここから西に見えている小高い丘の向こうのギヲ山西遺跡。2つ目の候補は文化財研究所の北側にある畝尾都多本神社境内を中心としてあった木之本廃寺跡。3つ目は保健緑地公園の北にある小山廃寺跡です。これからこれらの候補地を巡ります。

(写真は文武・大官大寺跡にて)

まずギヲ山西遺跡、ギヲ山といわれる丘の西方に位置し、この遺跡から大安寺から出土する瓦が出土します。この遺跡から瓦が大安寺に運ばれたとなればこの遺跡は、高市大寺の可能性があります。

(写真はギヲ山西遺跡を西に臨む)

 

ここから小山の村の集落を通り、保健緑地公園の北にある小山廃寺跡へ。ここはキテラという小字名があるため紀寺跡ともいわれています。ただこの廃寺は規模が小さく高市大寺とは考えにくいといわれています。

(写真は小山廃寺跡にて)

つぎにここから北へ。文化財研究所でトイレ休憩と見学をして、この文化財研究所の北にある畝尾都多本神社へ。ここは木之本廃寺跡で、吉備池廃寺の瓦が出土するので候補地の1つですが、いまだ寺院にかかわる遺構は出土せず、また付近は高市郡ではなく十市郡に属することもあり候補地としては弱いといわれています。

 (写真は木之本廃寺あとにて)

 

ここから北西の方向にある藤原京跡へ向かいます。

藤原京跡では、大極殿跡で本日の解説のまとめが尾花スタッフからありました。本日巡ってきた高市大寺の候補地の整理と、飛鳥時代の百済大寺に始まり、奈良時代の大安寺に至る天皇の造営による巨大寺院の変遷の整理がありました。現地を直接巡ることでより印象深く理解頂けたことと思います。

(写真は藤原宮跡にて) 

ここからはゴールの畝傍駅を目指して歩きます。

 

本日はお疲れさまでした。本日の踏破距離は11km。参加人員は79名でした。

 

次回123日は京都JR桃山駅集合、明治天皇陵から寺田屋を巡ります。ご参加お待ちしています。