・2020年1月7日例会


 1月7日(火)

 

道路幅約75mの復元・朱雀大路を初歩き-徹底検証!舎人親王の邸宅跡『衛門殿』

 

奈良駅~舎人親王邸跡~田村第跡~長屋王邸跡~朱雀門・復元朱雀大路(昼食)~西市跡~九条公園~羅城門跡~郡山駅

  

 

新年あけましておめでとうございます。今年最初のウォーキング。会長から新年の挨拶があったのち、リーダーからコース説明がありました。あいにくの雨にかかわらず、59人の熱心なウォーカーが参加されました。

  

雨の中を元気に出発。今日の解説も尾花スタッフです。最初の目的地は奈良時代『日本書紀』の編纂にあたった舎人親王邸跡です。この地域は『衛門殿』という小字名がついいました。今では建ち並ぶマンションと駐車場の“何の変哲もない”ところで、いつもは通り過ぎるだけですが、このようなところも解説があるのは、桜井ウォーキングクラブならではのことでしょう。

  

田村第は藤原仲麻呂の邸跡です。舎人親王邸、長屋王邸の倍の広さでした。恵美押勝という姓を賜るほど、光明皇后の秘書の長官として権勢をふるいましたが、孝謙天皇と僧道鏡との政権争いに敗れました。

(写真は田村第にて)

 “ミ・ナーラ”が建っているところが長屋王邸。左大臣として元正天皇・聖武天皇のもとで、皇親政治の中心を担っていました。邸跡から出てきた木簡から、その豪華な生活ぶりがわかっています。アワビの貢物があったり、当時も牛乳を飲んでいたとのことです。しかし藤原四子の策略で死に追いやられたとの説明に皆さん聞き入っていました。

(写真は長屋王邸跡にて)

 昼食は予定を変更して朱雀門広場の“いざない館”“うまし館”などの館内で食べました。雨の中、体が冷え切っていたので、暖かい場所での昼食に皆さん喜んでいました。恒例のうんちく話は唐招提寺を建てた鑑真の日本に渡るまでの苦労話。5度の失敗を重ねながらも6度目にして成功した「東征伝」を次回との2回にわたって話をされます。

  

西市跡と西市の船着場での説明の後、九条公園でトイレ休憩。そこは“富本銭”が出土した場所で、わが国最古の貨幣であるとの説明がありました。 

 最後のスポットは、羅城門跡。実際は佐保川右岸の堤に建っていたとのこと。都が京都に移ったのち、外京を除いて多くは田畑に代わり、土に埋もれてしまいました。北浦定正の大きな碑が建っていますが、幕末に平城京と平城宮の研究のきっかけになった「平城京大内裏跡坪割之図」を著した人とのことです。 

写真は羅城門跡にて)

 

 今日は皇族や貴族の豪邸、道幅75mの朱雀大路が通るなど繁栄した奈良時代の中で、その裏には政権争いが繰り広げられていました。奈良時代の“光と影”をテーマにした解説に雨の中でのウォーキングでしたが、笑顔で帰られました。栃木県から来られた方は「今度は家族を連れてきて、自分が説明してやろうと思った」「よくウォーキングで来ているが、解説を聞いてよくわかった」など参加者からの声がありました。

  

次回は“ワニの里”櫟本から円照寺へと歩きます。出発式では“5年連続パーフェクト参加“”ベストウォーカー賞“”ベターウォーカー賞“”グッドウォーカー賞“の表彰式を行います。お楽しみに!