・2018年12月4日例会

12月4日(火)

「なもで踊り」の飽波神社には御幸石が・・」

太子道(筋交道)を約2600m往く

法隆寺駅―上宮遺跡公園―太子道―善照寺―

広峰神社―飽波神社―極楽寺―安堵中央公園―

額田部窯跡―五輪塔―額安寺―中家住宅―

法隆寺駅

 

 

本日は先週からの天気予報では雨模様でしたが、晴れ間ものぞき暖かい絶好のウオーキング日和になりました。コースは安堵町およびその周辺の神社仏閣や遺跡を巡るウオーキングです。

法隆寺駅10時集合。中浦会長の挨拶に続いて、本日のリーダー永原からコースの説明があり、ストレッチ運動をして出発です。本日の参加者は60名。

まずは法隆寺駅から大正時代に運行していた天理軽便鉄道跡を歩き、その後富雄川沿いに北に向かい上宮遺跡公園へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よく整備された遺跡公園のようです。ここでトイレ休憩と尾花スタッフよりこの遺跡についての解説がありました。それによりますと、ここは聖徳太子が住んでいたという言い伝えが残っている土地にある奈良時代の大規模な遺跡下公園で、出土する遺物から奈良時代の称徳天皇の飽波宮があった可能性が高いと推測されているところです。またこの南にある成福寺は、聖徳太子の葦垣宮所在地との伝承のあるところです。

 

 

ここから富雄川を渡り田園地帯を東へ。JR大和路線を渡り少し南へ行けば善照寺です。ここの見どころは福井県より運ばれてきたと伝わる樹齢300年になる「富生の松」です。根が地上に大きく盛り上がりまるでタコの足のよう。見事なものです。

 

 

 

次に広峰神社へ。このあたりから飽波神社に至る道は、聖徳太子が歩いたといわれる斑鳩の宮と小墾田宮(おはりだのみや)を結ぶ太子道。今この道を歩いています。 

 

 

 

 

 

 

 

広峰神社は聖徳太子ゆかりの飽波葦垣宮と伝わる地に建てられた神社だそうですが、手入れが行き届いていない感じですね。鳥居前には業平姿見の井戸といわれる井戸があります。

さらに町の中を南へ。飽波神社へ到着です。ここで尾花スタッフより、神社の由来や「なもで踊り」の絵馬についての説明がありました。それによりますと、この飽波神社は聖徳太子の飽波宮跡と伝えられ、素盞嗚尊を祀り江戸時代は牛頭天王社と呼ばれていました。またこの安堵地区の氏神でもあります。「なもで踊り」の絵馬には神社の境内で鉦を打つ人や太鼓をたたいて踊る人の絵が描かれています。奈良盆地は雨が少なく、雨ごいの踊りが盛んでした。「なもで」は「南無阿弥陀仏」を意味します。昔は雨乞いは黒馬を、止雨時には白馬が捧げられましたが、これがむごいため考えられたのが絵馬ということです。皆さん熱心に聞いておられ納得した様子でした。

 

神社の境内の左奥には聖徳太子が休憩されたという御幸石があります。御幸石の上にはその当時の衣装を着た人形が座っておりびっくり。

さらに南へ。極楽寺に到着です。ここの門を入った左手には高さ4mの「広島大仏」が安置されています。

 

 

 

 

 

ここで尾花スタッフより解説がありました。この大仏は戦後、原爆の犠牲者を弔うため原爆ドームの近くの寺に安置されていましたが、その後行方がわからなくなっていた「広島大仏」とみられることがわかりました。安堵町を終いの住み処にされ、まさに安堵されたということでしょう。

さらに南に行き、11時45分ごろ安堵町の中央公園に到着です。ここで昼食タイムです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

午後の蘊蓄話は永原リーダーより、聖徳太子が印刷されたお札発行60周年にちなみ、それが発行された昭和33年の出来事について振りかえる懐かしい話で盛り上がりました。

午後は東へ、額田部の窯跡を目指してスタートです。

 

 

 

 

 

 

 

額田部窯跡は民家に囲まれた一角に小屋の中に保存されています。中は自由に見学でき、地面にくぼみ状のものが見えます。ここは鎌倉時代に瓦を焼いたところとのことです。

 

  

 

 

ここから20-30m行くと重要文化財に指定されている鎌倉から室町時代の中に石造五輪の塔がならぶ広場があります。これが額安寺五輪塔で、一番大きいため五輪の塔が忍性菩薩の塔とのこと。

ここから額安寺の横を通り、工業団地の中を抜け旧村に入ると、堀に囲まれた中家住宅に到着です。堀には跳ね橋のような橋が掛けられており、典型的な大和の環濠屋敷です。歴史を感じますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

次に、12mの聖徳太子をモチーフにした巨大な像がそびえるオブジェ「案山子」公園を通ります。この公園には様々なしぐさや衣装を着た案山子?が作られておりなかなかにぎやかな公園です。

昼食時の安堵中央公園に戻りここでトイレ休憩です。

 

 

 

 

合わせて尾花スタッフより中家住宅に関して詳しい解説がありました。それによりますと中家は筒井氏に仕えていましたが、筒井順慶の子貞次が秀吉により、郡山から伊賀に転封されましたが、中氏は随行せずに農業を営むようになりなり、江戸時代には窪田村の庄屋などを勤めています。また屋敷内部の構成など詳しく説明がありました。皆さん納得の解説でした。

 

 

ここからはゴールの法隆寺駅目指してウオークです。

本日はお疲れさまでした。コース距離は11kmでした。

 

次回の例会は2018年最期の例会です。JR郡山駅から西ノ京・郡山城を巡ります。

 

ご参加お待ちしています。