・2019年12月3日例会

 12月3日(火)

寺田屋ー竜馬を取り方30人が包囲

 明治天皇陵は、伏見城本丸跡地

 桃山駅ー伏見桃山陵―伏見桃山城―藤森駅―藤森神社―

 海宝寺―薩摩藩伏見屋敷―殉難九烈士の碑―月桂冠大倉記念館―伏見奉行跡ー桃山駅

  

本日のコースは、明治天皇陵から伏見桃山城、藤森神社、幕末の志士坂本龍馬襲撃事件の寺田屋など伏見桃山地区の名所旧跡を巡るコースです。

 

JR桃山駅10時集合。本日の天気は晴れ模様ですが、近畿北部の天候が悪くこの影響が心配なところです。受け付けはJR桃山駅、駅周辺が工事中のこともあり、伏見桃山陵の敷地内まで移動して出発式を開催。出発式の直前雨がぱらつきましたが、しばらくすると晴れ間が出てきました。少し不安定な天気です。出発式では会長挨拶に続いて永原リーダーから本日のコース説明があり出発です。

 

 木々に囲まれ鬱蒼とした玉砂利が引き詰められた参道をのぼり、まず明治天皇の皇后の伏見桃山東陵へ。参拝後左折れしてさらに参道をのぼりと明治天皇の伏見桃山陵に到着です。墳丘は古式に範を採った上円下方墳になっており、鳥居のはるか奥に見ることができます。出発式をした広場から230段の階段で直登できますが、なかなか急ですね。明治天皇の伏見桃山陵に参拝して振り返れば、伏見の町並みが眼下に広がっています。なかなかの眺望です。ここで永原リーダーからこの伏見桃山陵について解説がありました。この地には安土桃山時代から江戸時代初期にかけて伏見城があり、その本丸跡地に御陵が造られたとのことです。(下段の写真は伏見桃山陵にて)

 ここから参道を下って、途中右に折れ石畳の道を行くと間もなく伏見桃山城に着きます。ここでトイレ休憩。この伏見桃山城はなかなか立派な天守閣ですが、過去ここにあった遊園地のなかに造られた模擬天守閣というようなものです。

 

その後遊園地が閉園になったのちも地元の要望で残されたとのことです。ただし天守閣には耐震の関係で登れないそうです。

 

 ここからは住宅街を北上。JR藤森駅を通り藤森神社へ。

  

 藤森神社に参拝して、境内にある公園で昼食です。昼食後は恒例の蘊蓄話が永原リーダーからありました。この伏見地区に関して、図を用いての丁寧な解説がありました。あいにく雨が降り始めましたが、熱の入った解説に皆さん傘をさしながら熱心に聞いておられました。(下段の写真は藤森神社にて)

 午後のスタートです。

  

 藤森神社を出て住宅街を南下します。20分程度歩いて、海宝寺に到着、ここで列詰めと海宝寺の庭園の見学です。この寺のある場所は仙台藩伊達政宗の伏見城上屋敷があった場所で、ここの町名も桃山町正宗で、これに由来するそうです。手入れの行き届いた境内の庭園には上屋敷跡の説明版が設置されています。

(右の写真は海宝寺の庭園)

 さらに南下し、近鉄丹波橋駅で西にまっすぐ進むと、突き当りに薩摩藩伏見屋敷跡の碑が立っています。ここからレトロの雰囲気のある竜馬通り商店街を通り南下すると寺田屋に到着です。昔の旅籠を思い起こす木造の建物が、幕末の薩摩藩志士粛清事件や坂本龍馬襲撃事件の舞台となった寺田屋です。まわりとあまり違和感のない佇まいで幕末にタイムスリップした感じですね。(下段の写真は左が薩摩藩伏見屋敷の碑、中が竜馬通り商店街、右が寺田屋)

この近くの公園で、この寺田屋事件について尾花スタッフから詳しい解説がありました。(写真は尾花スタッフの説明の様子)

 

  ここから対岸に見える古い酒蔵群を見ながら運河にそって昔の伏見を感じながらのウオークです。月桂冠の大倉記念館の前を通り、京阪、近鉄の線路をくぐれば伏見奉行所跡に到着です。ここには、かつての奉行所の石垣が残っていますが、敷地は大規模な団地になっており、幕府の拠点としての威容が偲ばれます。この団地の公園で永原リーダーから伏見奉行所についての解説がありました。(下段の写真は左が運河、中奉行所の石垣跡、右が永原リーダーの解説の様子)

 

ここでIVVをお渡しし近鉄、京阪の皆さんとはここでお別れし、ゴールのJR桃山駅に向かいます。

 本日はお疲れさまでした。踏破距離は11km、参加人数は98名でした。

 

次回はJR奈良駅から加茂駅まで幻の大仏鉄道跡を歩きますご参加。お待ちしています。