・2019年2月5日例会

2月5日(火)

廃線探索①-天理軽便鉄道廃線跡を辿る

筋違い道/太子道と安堵町の古社寺を巡る

法隆寺駅―新法隆寺駅跡―木戸池遺構―

善照寺―広峰神社―安堵町駅―飽波神社―

民族資料館―額田部駅跡―平端駅跡―天理駅

 

 本日のコースは、大正4年から昭和20年まで運行されその後廃線となった天理軽便鉄道の廃線跡を法隆寺駅から天理駅まで辿ろうというコースです。

  前日は雨、本日は幸いにも快晴。気持ちの良いウオーキング日和になりました。集合は10時、この天理軽便鉄道の始発駅となった法隆寺駅です。

 出発式では会長から「今年は廃線探索ウオークを4回、相撲発祥地シリーズを2回など興味深いテーマのあるウオークをやります」という紹介があり、本日のリーダーの永原からは配布の地図に基づいて天理軽便鉄道の遺構の地点を確認しながら本日のコース説明がありました。

 法隆寺駅前の駐在所が天理軽便鉄道の新法隆寺駅跡であり、その先には煉瓦積みの遺構があることを確認して出発です。

 

 

駅から少し行くと田圃、この田圃の中に明らかに廃線跡と思われるところが、畦道であったり、盛り上がったりと富雄川まで続いているのを確認しながらのウオークです。

(写真の左の道が、廃線跡です)

田圃の中用水路にも煉瓦積みの跡が見られます。

富雄川の堤防に登ると廃線跡が小高くなっており明らかに今来た法隆寺駅に向かって線路が敷かれていたのがよくわかります。

(写真の中央の小高いところが廃線跡です)

富雄川を渡り木戸池に着くと、池の中に線路跡が残っており、鉄橋の橋台の煉瓦積みも見て取れます。これが木戸池遺構と呼ばれるところです。

(写真の池の真ん中に廃線跡の遺構がのこっています)

 ここからは廃線跡から離れて、「在原業平姿見の井戸」で有名な広峰神社や、樹齢300年の「富生の松」の名で呼ばれる根上がりの松で有名な善照寺を見て、聖徳太子が通った筋違道といわれる細道を行くと県道108号線に出ます。

(写真は善照寺)

 ここに安堵町の駐在所がありますが、ここが大和安堵駅跡になります。108号線を渡り、交番を通り過ぎたすぐに東に向かう路地があります。会長がここで、これが廃線跡と案内していますね。

(写真は安堵町の駐在所を過ぎてすぐのところから廃線跡を見る)

 少し南にいくと飽波神社に到着です。ここで小休止。ここで尾花スタッフから聖徳太子が腰を掛けたという伝承がある「腰掛石」などの」説明がありました。

「腰掛石」には安堵町の各所で見られるように人形が座っていますね。

 次は歴史民俗資料館を確認して安堵町役場でトイレ休憩です。

 

 ここからは西名阪自動車道路に沿ってひたすらウオーク。途中西名阪自動車道路を横切り札幌ビール工場に沿って行くと、近鉄平端駅に向かって一直線に続く道に入ります。これが廃線跡でこのあたりの町の生活道路に変貌しています。

(写真の道が平端駅まで続く廃線跡です)

平端駅の南端で近鉄橿原線をくぐる道路が廃線跡であったようです。ここからは近鉄によって天理まで、電化・複線化されて現行の近鉄天理線になっています。

(写真の右手の細い道が廃線跡です)

この南端の道路で橿原線を越え、近鉄天理線に沿って歩きます。佐保川を渡り南行けば本日の昼食場所ファミリー公園に到着です。時刻は12時35分。

(写真は、平端駅をこえて佐保川の堤防を上がるところ)

 本日は雲一つない快晴、気持ちよく昼食です。

 

昼食後はリーダーの永原から午後の蘊蓄話。本日は天理軽便鉄道について配布した資料を使っての解説がありました。軽便鉄道の軌道幅は76cm、タイルにテープを張って実際の幅を示していましたが、意外と小さくこれでは経営も大変だったのではとため息が出そう。でも明治の人の事業意欲はたいしたものと思いますね。

(写真はファミリー公園での午後の蘊蓄話の様子)

 午後のスタート。ここからは一路東へ天理駅を目指して約4kmのウオークです。左手には天理軽便鉄道から改修された近鉄天理線が走っています。

 

 現在の二階堂駅や前栽駅の横を通り、2時35分に天理駅到着です。本日の参加者は128名。踏破距離は14kmでした。

 

 本日はお疲れ様でした。約100年まえに活躍した鉄道遺構があのような形で各所に残っているのは郷愁を誘いますね。今年は奈良県の廃線探索跡あと3回やりますのでご期待ください。

  

 次回は国技・相撲発祥地シリーズ①で當麻の地を巡ります。ご参加おまちしています。