・2018年7月16日例会

7月16日(祝・月)

小倉堤跡・薗場堤跡・槇島堤跡を歩く

大阪繁栄の礎・豊臣秀吉の太閤堤

 

JR小倉駅―西心さんー小倉堤跡―巨椋神社―蛭木島神社御旅所―薗場堤跡―槇島城跡碑―槇島公園―取水口―宇治橋―宇治川太閤堤跡―源氏物語ミュージアムー宇治上神社―JR宇治駅

 

 

本日のコースは京都府南部、京都市伏見区、宇治市、久御山町にまたがる場所にかって存在した巨大な巨椋池に、400年前豊臣秀吉がつくった太閤堤跡を巡るウオークである。天気は快晴。とはいうものの連日の猛暑で、本日も気温38度の予報が出ておりウオーキングにはなかなか厳しい環境になりそうである。

本日はJR小倉駅10時集合。中浦会長より挨拶と熱中症に関する注意喚起、リーダーの野村よりコース説明を行い、午前中のウオークをスタートする。

 

 

JR小倉駅から住宅街を西に行き、府道69号線を渡ると、「西心さん」に到着する。

 

ここは小倉共同墓地にあるお堂の中に80cmぐらいの石仏が鎮座している。この「西心さん」はいつだれが作ったかは定かではないが、江戸期にどこからか小倉の村に現れ、村を救うために人身御供になった修行僧と伝えられている。住民の皆さんは親しみを込めて「西心さん」と呼び、信仰も厚いとのこと。

府道69号線を北にしばらく歩き、69号線からはずれて旧街道に入る。ここは小倉堤跡があった所で大和街道と呼ばれていた道。今も旧街道を思わせる建物も散見できる静かな裏通り。しばらく行くと巨椋神社に到着。ここでトイレ休憩と尾花スタッフから太閤堤についての解説があった。この説明によると

 

太閤堤は400年前に豊臣秀吉が宇治川に造った堤防であり、1594年伏見城を築いた秀吉は伏見城下を水陸交通の拠点にするため諸大名に命じて宇治川と巨椋池に堤をつくらせた。これが槇島堤と小倉堤である。槇島堤がほぼ現在の宇治川左岸堤防に当たり、この堤防が築かれたことで、巨椋池に流れこんでいた宇治川が池から切り離され、伏見・向島を流れ淀川に流れる現在の宇治川がつくられた。小倉堤は小倉村から伏見をつなぐ堤防で大和街道として利用された。なお巨椋池は1933年(昭和8年)から8年がかりで干拓が行われ、水田に変わり食料増産に寄与したとのこと。

 

また巨椋神社は旧小倉神社の産土神として崇敬されており、起源は古代の豪族の巨椋氏の氏神を祀り、平安時代には嵯峨天皇の勅命で創建されたとも伝わる神社。

ここからさらに旧街道を北に向かい蛭子島(えびすじま)神社御旅所に到着。

もと来た道を少し戻り田園地帯に入ると、田圃の中の農道横の水路の側面に堤らしい跡が残っておりこれが薗場堤跡の一部と説明があった。

ここから市街地を東に歩き、住宅街の中にたつ槇島城跡碑を観る。槇島城についてはリーダーの野村から説明があった。槇島城は室町時代から安土桃山時代にかけて、足利将軍家の家臣真木島氏が本拠とした城で、1573年織田信長に追われた15代将軍足利義昭が槇島城に居を移し、追ってきた秀吉、明智光秀、柴田勝家等から攻撃をうけ、室町幕府はこの地で滅び、1594年この城も廃城になったとのこと。(写真は住宅街の中にある槇島城跡碑での野村リーダーが説明する様子)

ここから少し北に行き、本日の昼食場所の槇島公園に到着する。時間は11時30分。炎天下の中、皆さん無事到着でき何よりでした。木陰の下でしばし昼食をとり休憩する。

 

 

昼食後は恒例の蘊蓄話。今回はリーダーの野村から戦国時代の英雄北条早雲についての話があり、午後のウオークスタート。(写真は槇島公園の木陰で蘊蓄話を傾聴)

宇治川の水を、巨椋池を干拓した田畑に供給する取水口の見学に向け出発。宇治川の左岸に築かれた槇島堤跡の西に広がる市街地を宇治橋に向け北東方向に歩く。宇治橋に出る手前にその取水口があり、巨椋池の干拓によりできた水田への水の供給は、かってこの取水口で用水ポンプにより取水され水路によって送られていたとのこと。(写真は取水口の説明板の前にて)

宇治橋のほとりでトイレ休憩。目の前の宇治川の流れは先の大雨の影響か、大変水量も多く荒々しい流れだ。

宇治橋を渡り左に折れて右岸をしばらく行くと右手に太閤堤跡の復元中の場所が見えてくる。今後は太閤堤跡の歴史公園として整備されるようである。(写真は太閤堤跡の復元と展望台)