12月5日(日)
鬼門、七曲りまでもが完璧残存・稗田環濠集落
―文正土帳が濠築年を1446年と検証・若槻環濠―
JR大和小泉駅―南部公民館―筒井城址―オークワ―番条環濠集落―中谷酒造―若槻環濠集落―稗田中央児童公園―売太神社―稗田環濠集落―郡山駅
例会も本日を含めて2回となりました。本日は郡山市に残るいくつかの環濠集落跡をめぐるコースです。
天気は快晴、参加人数は89人。たくさんの参加をいただきました。リーダーの永原から本日のコースの説明がありました。途中中谷酒造さんではご主人より関連の説明いただき、お酒の購入もありとのこと。
以下写真でコースを紹介。
筒井城址
筒井城(つついじょう)は、室町時代、戦国時代を通じて大和国の政治史の中心的存在であった興福寺衆徒筒井氏の居城であったところ。
番条環濠集落は大和平野北部では最大の規模があり、環濠が昔ながらの状態で現存していることで知られています。
集落は佐保川に沿って南北に細長く伸びています。南、中、北の三つの郭が並び、番条氏の居館は北郭にあり、現在は
熊野神社境内となっています。
中谷酒造さんです。
若槻環濠集落は文正元年(1466)の文正土帳には東端の庄屋屋敷と西端の宮地を中心に屋敷が集合し、堀が作られた様子が記されています。その後、文禄4年(1595)の検地帳によれば、2つの堀をつないで東西に細長い環濠が形成されていることがわかります。環濠の形成される過程が資料で裏付けされる貴重なものです。
稗田中央公園で昼食、恒例の蘊蓄話は野村スタッフよりありました。
稗田環濠は大和の環濠の代表例として有名であり、教科書などにもよく記述されています。形成過程の詳しいことはわかりませんが、室町時代には現在のような形になったと考えられます。東西260メートル、南北260メートルの規模で、東北側は七曲りと呼ばれている特異な形をしています。
次回12月19日はSWC最後の例会です。奈良市の御霊神社や天皇社をめぐります。ふるってご参加ください。