・2018年5月13日例会

5月13日(日)

千田説⇒「長門の近くに磐余池があった」

磐余池の5つの最新候補地を巡る

JR桜井駅―戒重:春日神社-Ⓐ-吉備:春日神社Ⓑ-

妙法寺―Ⓒ-万葉の森―香久山公園―稚桜神社-

安倍寺跡―安部文殊院―上之宮遺跡―石寸山口神社―

Ⓓ-Ⓔ―JR桜井駅

 

本日のコースは、桜井はウオーキングクラブの本拠地桜井市(及びその近辺)にあった磐余池の候補地を巡るコースです。このコースは会長、スタッフが力を入れてきた企画の1つで、古代史に関心のある方にとっては大変興味深いい企画となっています。

 

本日の天気予報は残念ながら一日中雨模様とのこと。受付開始の9時頃から雨が降り始めており、スタッフ一同参加者が極端に少ないと危惧するなか、少しづつ参加者が受付へこられ一安心。

 

 

10時、桜井駅集合。雨の中23名の参加ありがとうございました。きっと古代史に関心のあるウオーカーが参加されたのでしょう。

(写真は桜井駅構内での出発式の様子)

桜井駅を出発して戒重の春日神社へ。ここは敏達天皇の訳田幸玉の宮跡ではないかとの説もあり、のちには大津皇子の邸宅となったといわれているところです。

(写真は戒重の春日神社にて)

春日神社から南に進み国道165号線をわたって桜井自動車教習所がある付近が磐余池のⒶ説の候補地といわれているところです。千田先生の説で戦後の航空写真からはそれらしき堤の跡が残っているとか。

 

 (写真は東に桜井自動車学校を望むⒶ説の場所を確認)

次に吉備の春日神社へ。この神社の南側に吉備池があり、このあたりが磐余池のⒷ説の候補地といわれているところです。池の南側の堤には吉備池廃寺の金堂や塔の跡が発見されており、百済大寺跡と言われるところです。ただこの池は江戸時代に造られた池であり?が付くところのようです。

(写真は吉備池にて尾花リーダーから説明を聞く)

次に橿原市の東池尻町にあるⒸ説の場所へ。ここは堤址が発掘されており、また池尻町等の地名からもこのあたりには大きな池があったことは確実であるが、磐余という地域からは離れており疑問もあるところ。

(写真は東池尻町の磐余池説明板の前で尾花リーダーから説明を聞く)

近くの妙法寺でトイレ休憩。ここからは新緑の映える里山風景を楽しみながら万葉の森を通り昼食場所の香久山公園へ。ここで昼食タイム。昼食時間は幸い雨も小休止で、この間に昼食をすまします。

(写真は妙法寺から万葉の森へと続く里山風景)

昼からはまた雨が降りだしたので香久山体育館の軒を借りて、午後の出発前の蘊蓄話をリーダーの尾花より、本日のテーマの磐余池に関係のある大津皇子などに関する解説を聞く。こうして現地を巡ると、皆さんもリーダーの話にも一層興味をそそられ古代史の謎に思いをめぐらされたことでしょう。

(写真は午後の蘊蓄話の様子)

ここからは雨が降る中山道に入り、池のない後桜神社を目指します。

 

 

稚桜神社に着く頃は雨の強くなり、稚桜神社の軒で雨宿りをしながらリーダーの説明を聞く。この神社、池之内集落の東の小高い丘陵に位置し履中天皇の磐余稚桜の宮跡という伝承もあるところです。また「履中天皇が磐余池に船を浮かべて宴遊されたとき天皇の盃の中にさくらの花が散って入った。天皇は不思議な事だと思われて物部長真胆連(もののべのながのまいのむらじ)に「この花は今咲くべき時期でもないのに落ちてきた。どこからだろうか探してこい」と仰せになり、花を見つけて献上すると天皇は珍しいこととお喜びになり、宮の名を磐余稚桜宮とおつけになった」との伝承がこの神社の名の由来とか。

(写真は稚桜神社にて尾花リーダーから説明を聞く))

ここから西に向かい安倍寺跡を見て安部文殊院に行きます。

 

ここでトイレ休憩。ここから安倍の丘陵から下りなら奈良情報商業高校の周りを巡って上之宮遺跡へ。ここで整備された上之宮遺跡を見学。

(写真は上之宮遺跡にて)

次に安倍山の北側を廻り石寸山口神社へ。雨も激しさを増しウオークもなかなか厳しい状況になってきました。この山口神社で最後の解説を聞いて、その北側にあったであろう磐余池のⒹ説の地を確認してゴールの桜井駅を目指します。

 

途中国道165号線の陸橋を渡り下りたところから寺川に沿って北西の方向に広がるところが磐余池のⒺ説が主張する場所になります。ここを確認してゴールの桜井駅に無事到着です。

 

本日は雨の中大変お疲れさまでした。踏破距離は12kmでした。

次回は幻の都恭仁京や海住山寺ウオークをします。ご参加お待ちしています。

(写真は石寸山口神社にて)