・2018年3月21日例会

3月21日(水・祝)

久宝寺御坊から八尾御坊へと歩く

2つの寺内町と河内音頭の里を巡る

久宝寺駅―許摩神社―顕証寺―発願寺―町並みセンター

―念仏寺―美園公園―杵築神社―常光寺―

河内音頭記念館―慈願寺―八尾天満宮―

大信寺―久宝寺駅

 

本日は久宝寺駅近辺にある久宝寺御坊と八尾御坊といわれる古い町並みが残る寺内町を巡るウオーキングである。

本日の天気予報は雨のち曇り。昨日の予報では終日雨の予報であったため参加者が極端に少ないのではとスタッフ一同危惧していたが、何とかウオーク熱心な皆さんの参加で23名となった。

 

 

10時久宝寺駅集合。雨模様のため駅構内で出発式をして久宝寺御坊目指して出発。この頃すでに雨が上がり、まずますのウオーキング日和になりそう。

久宝寺駅から北に向かい八尾御坊の南口にある許摩神社へ。1100年前からあるこの神社は、古代このあたりに多く住んでいた渡来民族の祖霊を祭祀としていたのが社名の由来とか。

次に環濠あとの土塁を見て顕聖寺へ。大変立派な寺院で、この寺内町の中核的な寺院であり、15世紀本願寺蓮如上人にて西証寺として建立されたのが始まり。

 

 

寺内町の狭い道路を東に進むと寺井戸跡へ。路地横に上部を石の格子で蓋をされた井戸がある。ここは大和川から竹樋を埋めて水を引き、この村の上水道にし、その代金として一軒あたり年米一升を御坊に納めたという貴重な井戸が見られる。大正12年簡易水道ができるまで使用されていた村唯一の上水であったとか。

続いて寺内町の残された遺跡や文化財をみてまわりまわる。高田家は江戸時代は油屋と号し久宝寺村の庄屋を務めてきた家で歴史的な関係を残す貴重な建物が残っており国登録有形文化財になっている。

次にまちなみセンターでトイレ休憩。まちおこしにボランティアの皆さんが活躍されている熱気が伝わってくるようだ。詳しい久宝寺寺内町のパンフレットをもらう。

 

次に寺内町の東口に当たる東口道標を確認して長曾我部盛親の物見の松址へ。

ここは大阪の陣で主戦場になり、徳川方の藤堂高虎の様子を豊臣方の長曾我部盛親が大きな松の木に登って見たとされる物見の松址である。

 

次は寺内町を出てすぐ北にある久宝寺城址へ。今は石碑が道端に残るだけであるが

 

安井家の居城があった所。16世紀末に本願寺の兵により攻められ陥落したが、その後もこの寺内町の支配権を有し江戸時代まで続いたようである。

ここから北に向かい近畿自動車道に沿って500m程進み右に折れると美園公園に到着。ちょうど11時30分。ここで昼食タイム。日がさしてきたが風が強い。

 

 

午後の出発前に会長から次回4月3日の芦屋の巨石めぐりの案内があり。甑岩の巨石と夙川公園の桜が満開で興味深いウオーキングになりそうだ。

ここから南に下り、近鉄の久宝寺口へ。このあたりで後ろを振り返ると北北東にまっすぐ道が伸びていることがわかる。これは戦前の大正飛行場(現八尾飛行場)の予備滑走路の跡で、駅の近くにこの穴太仮滑走路跡碑が建っている。

 

ここから近鉄大阪線をくぐり常光寺へ。八尾の地蔵さんで名高く、行基の創建。大阪夏の陣では藤堂高虎はこの寺の縁側で豊臣方の首実験をし、今も血天井として残されている。また夏は地蔵盆踊りで河内音頭による盆踊りがこの境内で行われ、まさしく河内音頭の発祥の地である。

 

 

ここから商店街の中に入ると、河内音頭記念館がある。ここの係の人から河内音頭の歴史など詳しく説明を聞く。館長は河内家菊水丸とか。またあの天童よしみもこの河内音頭の歌い手であったとのこと。

次に久宝寺寺内町から別れ八尾寺内町を建設した森本七郎兵衛旧宅跡を看板で確認し、八尾の寺内町の中へ。久宝寺寺内町のように保存がされているわけでもなく、一部面影があるかなという印象。

慈眼寺を見て大信寺へ。大信寺は本願寺教如によって江戸時代の初めに創建された、この八尾御坊大信寺が八尾寺内町の中心寺院になった。今の大信寺は、昭和42年に白アリの被害などで損壊したためコンクリートのモダンな建物で再建されたそうである。

ここからはゴールの久宝寺駅まで長瀬川沿いに南に下り、八尾高校の橋を右に曲がり西に1kmほど行けば、古い町並みの残る寺内町から近代的な高層ビルが立ち並ぶJR久宝寺駅に到着である。

 

皆さん本日はお疲れさまでした。本日の踏破距離は10kmでした。