・2017年10月24日例会

10月24日(火)

 第26代継体天皇・筒城宮跡を探る

 ―かぐや姫は京田辺に住んでいたー

JR同志社前駅―筒城宮跡碑―寿宝寺―穴山梅雪の墓―

 桜井王古墳―咋岡神社―法泉寺―防賀川公園―

 JR京田辺駅

  

本日のウオークは京田辺市の第26代継体天皇の筒城宮跡と言われているいくつかの候補地を巡るウオークである。

 

10時JR同志社前駅集合。台風21号一過のまずまずのウオーキング日和、85名参加である。

 

会長の挨拶、リーダーからのコース説明など出発式をすまして、同志社大学京田辺キャンパスの構内にある筒城宮跡碑をめざす。

 (写真はJR同志社前駅での出発式の様子)

JR同志社前駅から西に同志社関連の学舎が両側に建ち並ぶ広い道路を行く。さすが見かけるのは登校する若い学大学生ばかり。同志社大学の正門を入り少し行くと、右手の小高い林の中に筒城宮跡碑が建てられている。ここに登り碑の前でリーダーより継体天皇や筒城宮跡について説明を聞く。

 

 それによると継体天皇は507年樟葉宮で即位し511年にこの筒城宮に遷り7年間をこの地で過ごしたと伝えられている。この筒城宮跡碑は1960年に遷都1450年を記念して筒城宮跡顕彰会にて建立されたものである。またこの地には第16代仁徳天皇皇后「磐之媛」も住んだといわれている。筒城宮跡の候補地はこの京田辺市に数か所存在しここはその代表というところか。

(写真は筒城宮 跡碑でのリーダー説明の様子)

 

 次は寿宝寺をめざす。県道22号線に沿ってしばらく南下し途中左手に折れてJR三山木駅、近鉄三山木駅を通りしばらく道なりに行くと寿宝寺に着く。ここでトイレ休憩をとりリーダーにより説明を聞く。

 

 

この寿宝寺は704年創建され「山本の大寺」とよばれ、かっては七堂伽藍が建ち並んでいたという。その後幾多の変遷を経て1997年に大改築が行われ現在に至る。また寺の横には山本駅旧跡の立派な碑が建つ。この三山木地区は奈良時代古山陰街道と近江に至る街道の分岐点にあたり、山本駅が置かれ古代の交通の要衝として栄えたという。奈良時代の道もなかなか興味のひかれるところである。

(写真は山本駅碑の前でのリーダー説明の様子)

  

ここから田圃が続く中を東に向かう。このあたり農繁期でコンバインを使った稲刈りの風景が見られる。右脇の登り道に入りしばらく登ると村の共同墓地が見えてくる。ここに戦国武将であった穴山梅雪の五輪石塔のお墓がある。リーダーから穴山梅雪についての説明あり。穴山梅雪は元武田家の武将であり後徳川家康の家来となった。本能寺の変で堺から徳川家康と共に帰城しようとして途中このあたりで土民に襲われ命を落とした(その他諸説あり)。その時この飯岡の村人が悲運の武将として手厚く葬ったとの言い伝えがある。

(写真は穴山梅雪の墓にて)

 

 

 

飯岡の村落は少し高台になっており、一面玉露の茶畑が広がっている。またこのあたりには古墳も多く、コースに沿って飯岡車塚古墳、ゴロゴロ山古墳、桜井王古墳などがある。桜井王古墳に登ってから東の急な階段をおり、村落の中の道を西の方向に下っていく。普賢寺川を渡り川岸に沿ってしばらく行き、竹藪のところで左折れし西に歩けば咋岡神社(くいおか)である。

 

咋岡神社(草内)に参拝して次は昼食予定の防賀川公園をめざす。

 

 ここから約1km弱。草内の住宅街を通り国道307号線を渡り、西に500m程歩けば防賀川を挟んで造られた防賀川公園に12時20分ごろ到着する。

  

少し遅い昼食をとって、いつもの蘊蓄話(今回は桜井の語源をディープに探る話。なかなか興味深い)を副会長から聞き、ゴールのJR京田辺駅を目指して午後のスタートをする。(写真は防賀川公園での食後の蘊蓄話の様子)

  

防賀川に沿って北に向かい、田辺高校前の道路を左に折れれば間もなく近鉄新田辺駅。JR京田辺駅ももう目の前。

  

本日は少し歩き足らなかった参加者もおられたかも?お疲れさまでした。歩行距離は10kmでした。