・2017年3月7日例会

2017年3月7日(火)

5・6世紀の政治的要地・磐余を巡る

大和桜井の皇居跡探訪

桜井駅北口―戒重・春日神社―吉備・春日神社―御厨子観音―磐余池堰堤―池之内・おやしき―

池之内・稚桜神社―倉橋・金福寺―

倉橋池口バス停(10kmゴール)―

石寸・山口神社―谷・稚桜神社―桜井駅南口(15kmゴール)

 

 天気は曇り時々晴れの予報。気温は3月というのに真冬並みに寒い日です。本日のコースは桜井ウオーキングクラブの本拠地大和桜井に多く残る古代の皇居跡を巡るオリジナル企画です。

 

 10時桜井駅北口集合。参加者は115名。出発式を済ませて早速戒重の春日神社を目指して出発です。西に向かい国道169号線に出たところで、右に曲がればすぐに春日神社に到着です。いまは国道に面した小さな神社ですが、ここは第30代敏達天皇の訳語田幸玉宮(おさたのさきたまのみや)があったところです。会長からこの宮の解説を聞き、次は吉備の春日神社を目指します。(写真は戒重の春日神社にて)

 

 南に下り、国道165号線をわたり桜井自動車教習所を右折れし、しばらく西に行くと吉備の春日神社に到着です。ここは第31代用明天皇の磐余池辺雙槻宮(いわれのいけのへのなみつきのみや)があったといわれるところの1つです。この南には吉備池があり、ここからは百済大寺ではないかといわれる巨大な遺構が発掘されています。この池辺で会長の解説を聞きながら、皆さん往時の大寺院の様子を思い描かれたのでは?次は東池尻町の御厨子観音に行きます。

 (写真は吉備池にて)

 吉備から西南にある御厨子観音まで、のどかな田園風景の中の約1.5kmのウオークです。御厨子観音では少し登ると、御栗山山頂にある御厨子神社が第22代清寧天皇の磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや)があったところといわれています。また東北の斜面にある真ん中で2つに割れた大石は俗に月輪石と呼ばれ磐座信仰の名残とのこと。皆さん普段なかなか来れないところで興味津々の様子。また御厨子観音の参道入り口付近から南東に広がった田圃風景を望めますが、ここは古代磐余池といわれている巨大な池があった所といわれています。次はその堰堤跡や建屋が発掘された現場に向かいます。(写真は御厨子神社にて)

 

 東池尻町の集落の中を東に向かい新しくできた道路に出ると、そこが磐余池の堰堤の跡のなります。橿原市の説明版が整備されており、これによるとかなり大きな池であったことがわかります。

 

会長の解説によると磐余池の場所については4つほどの説があり、目の前の池もその1つに過ぎないとのこと。(写真は東池尻の磐余池跡付近)

 

 また少し東に行くと池之内の「おやしき」といわれる第26代継体天皇の磐余玉穂宮跡(いわれたまほのみや)に着きます。ここは「大和桜井100選」の小さな看板があるのみで宮跡にしては寂しい限りですね。

 

またすぐ隣の池之内の稚櫻神社は神功皇后・第17代履中天皇の磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや)があったところといわれています。もう一か所候補地があり午後に行く予定です。次は安部文殊院を目指します。

(写真は稚桜神社にて)

 

 東へ約2km弱行くと安部文殊院に到着です。ここの境内で昼食です。晴れ模様ながら風があり体感的には寒い感じ。昼食後は恒例の蘊蓄話を聞いて上之宮遺跡にむけ出発です。

   

 

奈良情報商業高校の周りを巡り、東に隣接する住宅街に入ると、その一画に上之宮遺跡があります。ここは聖徳太子が幼年期・青年期を過ごしたとされる上宮(かみつみや、うえのみや)の跡といわれています。ただ諸説があり磐余池がどこにあったかで異なり、磐余池が、後ほど行く石寸(いわれ)山口神社の北にあるという説(3つの説あり)が正しければ、まさしくここが聖徳太子の上宮といえそうです。東池尻町にある磐余池はそのあたりの地名からしてもあやしいな?とも思えますが・・・・。というような解説が会長からありなかなか興味深いところです。次は倉橋の金福寺を目指します。(写真は上之宮遺跡にて)

 

 少し東に歩き、右折れして談山神社の参道といわれたなだらかな登り道に入ります。談山神社の大鳥居の横をとおりこの道を南へ寺川に沿って約3km歩くと崇峻天皇陵に出ます。その前が金福寺で第32代崇峻天皇の倉梯柴垣宮跡といわれているところです。ここから談山神社に行く車道に出てしばらく歩くと、10kmのゴールである倉橋池口バス停に到着です。ここでトイレ休憩した後、もと来た道を下り等彌神社を目指します。

 (写真は崇峻陵前にて)

 約4kmの下りを快調に歩き、等彌神社で休憩後、谷区の住宅街を西に向かいます。途中から桜井公園のある丘陵に入りしばらく行くと石寸山口神社に着きます。ここがもう一つの第31代用明天皇の磐余池辺雙槻宮(いわれのいけのへのなみつきのみや)があった所です。この北側に磐余池があることが実証できれば上之宮遺跡と合わせてつじつまが合うところですが・・・・。次は住宅街を東に回り込んで谷の若櫻神社に到着です。ここももう一つの神功皇后・履中天皇の磐余稚桜宮跡といわれています。ここからは桜井駅まで約1kmほどです。(写真は石寸山口神社にて)

 

 本日はお疲れさまでした。ウオーキング距離は15kmでした。

 

 桜井市の北の地区にも古代の皇居跡がまだまだあります。これは6月6日の「泊瀬谷から磯城嶋を経て纏向に至る」のタイトルで例会を予定しています。ふるってご参加ください。