・2017年3月19日例会

2017年3月19日(日)

指月伏見城・木幡山伏見城・向島城

 秀吉・家康の本格的居城・伏見三城

 六地蔵駅―明治天皇伏見桃山陵―

伏見桃山城運動公園―指月城推定地―

向島城推定地―御香宮―藤森駅

 

本日は晴天。絶好のウオーキング日和になりました。本日のコースは秀吉・家康の本格的居城として築かれた伏見三城の跡を巡るウオーキングです。

 

JR六地蔵駅に10時集合。出発式を済ませて木幡山伏見城推定地といわれる明治天皇伏見桃山陵を目指して出発です。

 

 JR奈良線に沿って六地蔵の町の中を歩きます。途中河港あとであった伏見城御舟入跡碑を見て桃山南口で右折れし、JR奈良線をくぐると明治天皇伏見桃山陵内です。しばらく歩き右折れすると御陵の参道に入っていきます。正面には明治天皇陵に直接参拝する大変長い階段が見えます。ここは右の緩やかなスロープの参道を上り明治天皇皇后伏見桃山東陵に到着です。鳥居の向こうに円墳のような御陵が望めます。ここから西に緩やかなスロープをたどると明治天皇伏見桃山陵に到着です。同じように鳥居の向こうに少し大きめの円墳のような立派な御陵が望めます。他所ではなかなか味わえない大変おごそかな雰囲気が漂う空間です。

 

 近くの陵墓監区事務所付近でトイレ休憩です。ここでリーダーから木幡山伏見城推定地に関して解説がありました。それによると伏見城は豊臣秀吉の隠居所としての指月伏見城から地震による崩壊で木幡山伏見城へ移り、関ケ原の合戦での焼失後、徳川により新たに木幡山伏見城が再建されたものの、その後しばらくして廃城になり、本丸跡などの主要部分はのちに明治天皇、皇后の御陵とされたとのこと。まさしくこの御陵のあたりに木幡山伏見城がそびえていたようです。(写真は明治天皇伏見桃山陵まえにて)

 次は伏見桃山城運動公園を目指します。玉砂利の参道を下り、途中右折れし石畳の道を行くと運動公園に行く車道に出ます。ここを右折れし駐車場の前を左折れし運動公園のフェンスの外側の道をしばらく行くと伏見北堀公園に下りる道に出ます。この伏見北堀公園は木幡伏見城の北側の堀跡を公園に整備したところですが、周囲に設けられた遊歩道を1周して元キャッスルランドに建てられた伏見桃山城の模擬天守閣に11時50分ごろ到着です。ここで昼食タイム。(写真は伏見桃山模擬天守閣)

 

 12時20分副会長の恒例の蘊蓄話を聞いて午後の出発です。途中指月伏見城の推定地を通り、支城であった向島城推定地を目指します。乃木神社の前を通り、JR奈良線をくぐり

 

JR桃山駅前で左折れして桃陵団地の中に入っていくと、このあたりが指月伏見城の推定地といわれているところになります。平成27年このあたりのマンション建設現場から遺構が発掘され話題になったとのことです。 

 

 

24号線に出て南下し観月橋を渡り向島の町の中に入りしばらく行くと駐車場の端に数十cmの段が見られところがありますが、これが石垣?の跡とか。今は住宅街でまったく昔の城の遺跡は見当たりませんが、ここはご当地の博識ある方から下見時詳しく教えてもらった成果でもあります。また24号線に出て少し北上し左折れして住宅街の中に入ると間もなく昔の小倉堤・太閤堤の上に整備された大和街道といわれる道に出ます。両側の家並木には往時の面影を残す建屋も見られ、その向こうには宇治川が流れています。太閤堤は豊臣秀吉が伏見城築城時宇治川の治水工事をした際作られた堤防だそうです。(写真は観月橋付近の新設された小倉提説明版の前にて) 

 

 また観月橋を渡り24号線を北上します。次は御香宮を目指します。

 

御香宮はその表門が伏見城の大手門を移築したといわれており、また境内には伏見城跡の残石が展示されています。これらを確認しトイレ休憩後、最後の伏見城関連スポットの栄春寺を目指します。約1km強歩くと栄春寺に到着です。こじんまりした寺院ですがこの総門が伏見城から移築されたものといわれています。このように伏見城が1619年に廃城になったときに建物や部材があちこちに移築されたようであり、この2つもその事例とのことです。(写真は栄春寺総門前にて)

  

つぎはゴールのJR藤森駅です。京阪から帰られる皆さんは途中の墨染駅に向かいます。

 本日は伏見三城跡を巡るウオークお疲れさまでした。参加者は130名でした。