・2017年1月5日例会報告

 2017年1月5日(木)

  南市・恵比寿神社の初えびす

 (興福寺の僧衆・六方衆が開いた南市)

 JR奈良駅―奈良資料保存館―奈良市写真美術館―

志賀直哉旧居―浮見堂―三月堂―二月堂―大仏殿―

南市恵比寿神社―JR奈良駅

 

 

  JR奈良駅の旧駅舎前集合。ここで、発会式が執り行われた。今回のウオーキングは会長の正月の挨拶から始まり、表彰式が行われ、正月らしい開幕の風景となった。

 

昨年の優秀者「参加回数が多い」の表彰が行われ、いつもと雰囲気がちがっていた。表彰には今年も奮闘していただくようにというスタッフ一同の願いを込められており、参加者も笑顔で拍手を贈られていた。参加者全員にも、お年玉という意味のチョコが配られ、正月という日にふさわしい発会式であった。

 

  奈良市は三笠山、春日山が東に位置し、東方向がおおむね上り勾配になる。JR奈良駅から南東方向に、時間に取り残されたような奈良町を通過し、高畑町の奈良市写真美術館で第1回トイレ休憩になる。建造物の規模に似合わずトイレが少ないという苦情により、次の新薬師寺を通過した後、急遽、県営駐車所トイレを第2トイレ休憩とすることで解決。新薬師寺に向かう。

 

 新薬師寺は光明皇后が聖武天皇の病を治すために薬師如来を安置された寺である。この寺の名前は西ノ京にある藤原京から移転した薬師寺より新しいという意味であるのか、霊験あらたか、という意味であるのかは判らない。という疑問を残して志賀直哉旧居「閉店中?」を素通りし、約束の県営駐車場にあるトイレで休息後、浮見堂を通過する。「浮見堂は奈良公園整備の施設で、由緒あるお寺と何の関係もありません・・・」というマイク解説の声を残して通過する。ここから北方向に直進すると大仏殿前の交差点に出る。この交差点から大仏殿までの参道は参拝者で混雑している。隊列は、これを避けるがごとく、交差点を斜めに横断し、園内「芝生内」で昼食になる。この付近は奈良の名物黒納豆が多いので、うかつに芝生に座れない。昼食は腰掛のある場所に変更である。トイレ休息後、三月堂に向かう。

 

  三月堂は元、金鐘寺の正堂と礼堂であった。後、大仏建立で東大寺に改称された由緒ある建造物である。後に北側の正堂と南側の礼堂とは一体化されている。

 

隣接する二月堂の、土塀のある石段を下り、大仏殿前を通過する。大仏殿は奈良市内の町内会から寄付が続けられ大切に守られてきたので、正月の0時から八時までの夜中、無料拝観として解放されている。奈良市内の住民は自由にお参りできるのである。大仏殿から興福寺五重塔を経て、猿沢池でトイレ休息。暫定解散後、南市恵比寿に向かう。

 

 南市恵比寿神社の混雑により、隊列維持が困難であることが予想されたので、原則、自己責任でJR奈良駅まで歩行していただく。このように入念な対策を施した時に限り、前年のような混雑はなく、拍子抜けがした。

 

南市は紀寺郷と記録される地域に興福寺の僧が市を開設し、大いに繁盛した。平城京は遷都で荒廃したが、奈良町は広大な寺領を持つ興福寺の財源と、多くの門徒衆で門前町を形成し、平城京の栄華を存続させた。この紀寺郷の地は現在の紀寺町あたりと推定される。当時の感覚ではデパートやショッピングモールといったところであろう。戦国の世になると栄華を極めた市も「一揆・打ちこわし」により衰退する。そこで興福寺の門徒衆は、南市を再建する。この門徒衆は興福寺末寺の六方衆と呼ばれる僧兵で正規の僧侶ではない。場所も当初の紀寺郷から北方向の猿沢池南端に移転した。この市を守る神として恵比寿神社が信仰され現在に至る。大阪や神戸の恵比寿が知られるが、この奈良の恵比寿も平城京の市から存続した、由緒ある恵比寿なのである。

 

  今年の冬は晴天と予報されても、雨が突然降ることが多い。途中で雨が降らねばよいがという余計な心配はとりこし苦労であった。薄曇りの風景に、年輪を重ねた古色の奈良の風情を堪能させられた1日であった。参加者は75名であり、古の奈良の都を再認識して帰路に就いていただきました。お疲れ様でした。

 

 本日のウオーキング距離は10kmでした。