・2016年5月5日例会報告

2016年55日例会

海住山寺から南海浄土の海を見る

慈心上人の大井出用水800年の歴史

  JR加茂駅恭仁大橋大井出用水海住山寺

恭仁京大極殿跡木津川市文化財整理保管センター分室

舟屋街並 加茂駅

  

今年のウオーキング開催日は、変わりやすい春の天候であるにもかかわらず、うまい具合に晴天に恵まれてきた。今日も初夏を思わせる日差しではあったが、風はヒンヤリとしていて心地が良い。参加者も自然と顔がほほ笑んでいた。

 

ウオーキング コースはJR加茂駅の東に位置する丘陵の裾から始まる。初夏の野草が提頂道路わきに繁茂する。これを北上すると木津川にさしかかる。この川にかかる恭仁大橋を超えると木津川右岸の位置となり、瓶原(美加野原)と呼ばれる田園地が一望できる。

コース通過地点の大半はこの瓶原にある。通過地点は大井出用水とその用水を引いた海住山寺であり、奈良時代、平城京から一時期、彷徨してきた謎の多い聖武天皇の恭仁京跡である。

 10時、JR加茂駅に集合し、出発式のあと提体道路を北上する。提体斜面には幼少のころ、遊び疲れて喉がかわいたとき潤したイタドリやスカンポがみられた。成人した後でこれがスカンポであると教えられた記憶がよみがえり、あまり旨いとは言えない酸っぱい味を思い出した。提体歩行中は幼少時代にタイムスリップしたようで河原で遊んだ竹馬の友や魚釣りが浮かんできた。

 

提体は木津川に合流し、恭仁大橋を渡る。橋の中央付近では川風が心地よく頬をなでる。砂州の川原をゆったりと水が流れ、提体に生えた雑木や竹林が日本画を観るようであった。(写真は恭仁大橋をわたるところ)

 

 笠置に続く国道の橋の下を潜り抜けると瓶原が一望できる。真正面に位置する海住山寺付近の山腹は濃い緑の常緑樹と、この春、新芽を出した鮮やかな黄緑とがモザイク模様のコントラストを示し、後方から「これが萌黄色や!ええ景色やなあ、空気もええしッ」という声が聞こえた。

(写真は恭仁大橋から木津川の眺め)

 この山の方へ続く耕作地の中の緩い傾斜道を上り詰めると大井出用水の立て札があり、そのわきに、井出山を迂回して開削された用水がある。田植えの準備が始まり大量のきれいな水が流されていた。少し前まではほとんど水が無く、用水路はどこか?と思うほど気が付かない状況であった。

 

1200年の鎌倉時代に慈心上人が指導して作られた用水路が800年後の今も稲作に用いられている。各地区の当番が水路を管理され、石垣も整然と整っている。

 

立て札にはサイフォンの箇所がある。鎌倉時代にサイフォンがアッたのか?と、調べると、昭和の災害で和束川右岸からの取水付近が崩壊し、左岸から取水して復旧されていた。左岸の水路を右岸の水路に接続するため、和束川の川底をU字型パイプで横断させ用水を通過させている。このU字型パイプをサイフォンと称される。(写真は大井出用水の立札)

 

 水路に沿って西方向に行くと、村落の中に目立つ交差点がある。この交差点に海住山寺の方向()を示す案内板があり、これに従って斜面の道を上る。この斜面は扇状地、または崖錐地形で比較的緩い勾配である。村落を出ると、突然急勾配になる。ここからが海住山寺への参道になり、見た目には45度の急傾斜に見える。参道中腹にトイレがあり、第1回の休憩になる。山門をくぐると100円、弁当食事も100円、観音様拝観が400円である。心臓、呼吸器、下肢に自信が無い者はこのトイレで待機するようにとマイクでの指示があったが、地獄の参道をほぼ全員クリアし、トイレでの居残り組は無く、今回のウオーキングは元気な者ばかりであった。

 

  海住山寺は735年、聖武天皇が東大寺の良弁僧正に十一面観音菩薩をお祭りする寺を建立させたのが始まりである。初期の山号は藤尾山観音寺であったが1137年焼失した。後、1208年解脱上人が再建し、補陀洛山海住山寺と改称し今に至る。 補陀洛山とは仏教神話では観音様のおられる洋上の山である。海住山寺がこの山に建立され、瓶原を海洋とみなして命名された。

 

五重塔は1214年解脱上人の弟子の慈心上人が完成させ、裳階がある。裳階は他には法隆寺だけという珍しいものである。塔の高さは室生寺が低く、二番目に低い。慈心上人は途中で見た大井出用水を完成させ、その記念碑が和束川の用水取水口にある。用水のおかげで3000石コメの増産になったそうである。 (写真は海住山寺からの眺望)

  

海住山寺を後に参道を下ると、再び大井出用水に至る。用水に沿ってさらに下ると、千本杭に至る。千本杭とは水の勢いを弱めるために多くの杭を水路に打ち込み、水路を二手に分けたところである。現在、杭は無いので判りにくいが、道路の下で水路が分かれている。この千本杭から下方を見渡すと、田園の中に、こんもりとした林が見える。これが恭仁京大極殿跡である。 

 

 田園風景を見渡しながら恭仁京大極殿跡に到着する。恭仁宮は740年、聖武天皇が遷都されたときの史跡である。遷都理由は平城京の疫病、戦乱、等諸説あり推定の域を出ない。さらに742年に紫香楽の宮に遷都されるもすぐに恭仁京に戻り、745年に難波宮へ遷都、平城京に戻り、と理解できない奇行の天皇とされている。746年恭仁宮大極殿を山城国分寺金堂として再出発され、東側に七重塔も追加されて寺院らしい容姿であったが、今はこれらの面影もなく石碑と礎石の史跡公園となり、ここで昼食となる。

 

 いつもの薀蓄講話のあと、隣接する木津川市文化財管理保管センターへ向かい、恭仁宮跡ビデオ、資料展示物を見学する。

  (写真は恭仁宮跡で会長の解説の様子)

 

この後、もと来た恭仁大橋を戻り、木津川左岸の舟屋を通過する。大阪夏の陣で軍功を認められた京都の角倉が船奉行となり、高瀬川開削後、大阪~京都の輸送船による物資運搬を構築したおかげで、淀川支流の木津も物流基地の港として江戸時代にさかえた。当時の商社、問屋街が舟屋と呼ばれ、僅かにその屋敷が現存する地区である。この地区を通過すると目の前がJR加茂駅である。

参加者の皆さんは満足した笑みを浮かべて検印を受け、IVVカードを受け取り帰路につかれた。

 

 今日のコースは

 木津川右岸の「恭仁京史跡」、「海住山寺と、大井出用水」木津川左岸の「江戸商人の屋敷が残る舟屋地区」のほかに、初夏の「木津川の清き流れ」「瓶原(美加野原)の田園風景」「山背の野草」を、堪能していただた。

 参加者は125名であり、山背の遺跡、史跡以外に初夏の景観も心に留めて帰路に就いていただた。お疲れさまでした。

 本日のウオーキング距離は12kmでした。