・2016年2月23日例会

2016年2月23日(火)定例報告

  西ノ京から郡山城下散策ウオーク

  羅生門から大極殿と朱雀門を望む

 郡山駅―羅生門跡―九条公園―薬師寺―唐招提寺―駐車場「土産どころキトラ―郡山城跡公園―金魚資料館―郡山駅

  

数日前から天候が目まぐるしく変動し悪天候の恐れを危惧したが、当日は比較的あたたかな曇天であった。このような天候では参加者が少ないのではと予想していたが通常程度の参加者にお集まりいただき、スタッフ一同胸をなでおろす心境でありました。

 

今日のウオーキングは戦国時代から残された郡山城跡と奈良の平城京南限というより、当時の日本政府の玄関といえる羅生門跡を中心にして平城京を見渡し、この羅生門から80m幅道路が朱雀門に続く国際都市の壮大な景色を堪能していただくという計画です。この道路を中国、シルクロード周辺国の使者たちが目の前にしたとき、思わず「な、な、なんと強大な日本国なんだ!」と叫んだであろう・・・と、想起させられるコースである。

  

10時、JR郡山駅に集合、出発式を行い、羅生門遺跡をめざして出発する。本日の参加者は77人。

 

 JR郡山駅の東を流れる大和川堤防を北上して出会う羅生門橋の下が羅生門遺跡である。「この橋の上から北の方角3.5km先に、平城京の朱雀門が見える」という会長の説明に参加者も目を凝らしたが曇天と言うべきか?春霞というべきか?見えた参加者は残念ながら少なかったようである。この橋の東堤防にある羅生門遺跡碑で、その存在感を確信した。 

 

 羅生門遺跡を後にして、北西方向に焼却炉煙突が見える。この煙突横の九条公園で日本最古の富本銭出土跡の説明を会長から聞いて、今度は秋篠川の堤防を北上する。秋篠川は秋篠宮に用いられたという平城京北側の丘陵地から流れる所縁のある川である。

 

秋篠川にかかる赤い欄干橋「瀬戸橋」から西に行くと薬師寺の西塔が見え、その東の東塔は解体修理中の白い天幕が目に付く。この薬師寺からさらに北上すると旧農家の村落に入り、観光用の土産屋、カフェなどが点在し、唐招提寺南門前の駐車場で会長の唐招提寺と薬師寺を対比した説明を聞く。どちらの寺院も甲乙つけがたい世界文化遺産である、という結論でした。

 

 

 唐招提寺でUターンし秋篠川堤防を南下して富本銭出土の九条公園に再び戻り、昼食にする。ここでも、体の健康だけでなく認知症にならないように頭の活性化を目的とする昼休みの薀蓄講話の後、郡山市内へ出発する。

 

 市内の近鉄郡山駅西に郡山城がある。場内は紅梅他多数の梅の木が満開で、特に門前の巨大な盆梅には古城にふさわしい古武士の風情漂う老木が見事であった。場内では盆梅展も催され、一般見学者もちらほら鑑賞されていた。

 

 郡山城付近では岩盤の露頭がないという地質理由により、大阪城のような何十トンという巨大な加工石垣ではなく、墓石や河原石などの自然石「否定形」を積み上げた石垣の堀である、との会長の説明があった。幾何学的定形ではない石垣模様であるが、古城としての趣、風格が感じられ、この石垣の上に侍が現れるのではないか?という幻想に浸れる・・・」

 

 

 

郡山城を後に市内を南下し、砂かけ参りを大納言塚で行う。

大納言塚とは郡山城内で没した豊臣秀長の墓所である。豊臣家が滅んだあと、この墓地は荒廃したが、安永6(1777)、春岳院の僧が五輪塔を建立した。

 

 砂かけ参りは、塚の砂を持ち帰るとご利益があるという噂が広まり、塚の砂を持ち去られ五輪塔が傾いたことが始まりらしい。塚の砂が無くならないよう砂を持ち寄り、焼香のように砂をつまみ石鉢?に注ぎ、石鉢の小さな穴からこぼれ出た砂を持ち帰る、という風習である。砂の再利用である。今では、砂を持ち帰る者は少なく、こぼれ出た砂が残されている。この残された砂を他の参拝者が繰り返し用いている。

  

大納言塚から南東方向に行くと金魚の養殖池がみられる田園になる。この中央に金魚資料館があり商いと併用している施設である。築地の魚市場と同様に見学専用施設ではない。2~3年前に、金魚の映画が撮影された処でもある。

  

この金魚資料館を後に一路郡山駅に足を運ぶ。市内に至ると、この道中において、遊歩道に整備された郡山城の外堀跡を通過し、市内のほとんどが旧郡山城の堀之内であるという城の広大さに圧倒されて郡山駅に到着した。  

駅前でIVVを渡し、天候が危ぶまれた曇天ではあったが、降雨が無かったという天候に恵まれ、ウオーキングは無事終了した。   参加された皆様、お疲れ様でした。本日のウオーキング距離は13kmでした。