2015年12月8日例会

12月8日(火)

大和郡山・城下町ウオーク

金魚の里散策と稗田阿礼の故郷・稗田環濠集落訪問

郡山駅―外堀緑地―箱本館「紺屋」-春岳院―郡山城址―永慶寺―アビタ―金魚資料館―稗田環濠集落―

JR郡山駅 

 

日増しに極寒の兆しが見え始めている時期にしては、言葉では表現できないような絶好のウオーキング日和に恵まれました。

 千葉県から遠来のわが桜井ウオーキングクラブ監事・中林 毅氏を迎えてのウオーキングになりました。中林さんは、日本ウオーキング協会が提唱する、「美しい日本の歩きたくなるみち500選」を2010年に、全国で15番目に完歩された有名な500選ウオーカーです。開始式でご挨拶がありました。


 本日は、JR郡山駅の東口受付で、スタートが西口になります。リーダーからコース説明時、コース変更の連絡があったとおり、「外堀緑地」を通過してのスタートです。この「外堀」は、1595年郡山城に入城した第5代城主・増田長盛が丹精込めて作りあげたものです。現在は、郡山市によって気持ちのいい美しい公園に整備されています。ここで最初のトイレ休憩です。


最初の見学地は、源九郎稲荷神社です。この神社は、童謡『大和の源九郎さん』に歌われている場所であり、地元では「源九郎さん」の呼び名で親しまれています。北向きの本殿に『白狐源九郎』が祀られており、歌舞伎や浄瑠璃関係者のお参りが多い神社です。ユーモアたっぷりの宮司さんのお話を聞かせていただきました。


次に訪問したのは、すぐそばの洞泉寺町です。ここは、江戸時代から続く遊郭街があったところです。その中でも最大規模を誇った旧川本邸は、1924年の建築で、三階建ての重厚な造りです。また、洞泉寺町には、洞泉寺と淨慶寺というお寺もあります。ともに本尊の阿弥陀如来が国の重文指定になっています。旧川本邸前で、スタッフから説明がありました。

 

 2,3分歩いて着いたのが、紺屋町通りの箱本館です。ここでスタッフから「箱本13町」の簡単な説明がありました。それによりますと、① 豊臣秀長が押し進めた城内自治制度、② 職業別に城内を区画、➂ 営業権や特許権を記した書状を朱印箱に収用、④ 輪番制で町の代表者が、他町の世話(治安・防火・伝播)をする というものです。

 とりわけ、この紺屋町は、藍染めを職業とする人たちが集まった職人町です。箱本館【旧奥野家】の屋敷は、大和郡山市で最も古い住宅であり、また、奥野家は、1728年から紺屋を営み、藍染めの技術を受け継いできた町屋のひとつになります。

 5,6分歩きますと、「お城の口餅」で有名な菊屋に到着です。1585年、大納言豊臣秀長公の御用菓子司として菊屋治兵衛が和菓子の製造、販売を始めたのが「菊屋」の起こりで、現在の店主が二十五代目です。間口8間の邸宅は、1855年築です。

 菊屋の前を北に向かって進みますと、すぐに秀長公の菩提寺・春岳院に到着です。ここには秀長の位牌や肖像画、足利尊氏の念持仏、箱本制度の資料文献が残されています。

 


城下町散策も佳境を迎えてきました。いよいよ郡山城天守閣に到着です。内堀の外から壮大な石垣を眺めながら、スタッフの説明がありました。それによりますと、築城主と築城年は、郡山衆・筒井順慶であり、1162年・1580年です。また、主な改修者は、豊臣秀長・増田長盛です。主な城主は、筒井氏・豊臣氏・水野氏・柳沢氏です。

 午前中の城下町散策もやっと終了し、昼食場所の城址公園に到着です。快晴の下で、午前中の数多くの見学箇所を思い出しながらの楽しい昼食タイムです。歩行距離よりも見学箇所が多かった午前中でした。

40分間の昼食タイムが過ぎ、リーダーの薀蓄講話から午後の始まりです。


城址公園から南方向に向かいますと、まもなく永慶寺に到着です。この寺は、1704年に山梨県甲府市に建てられた黄檗宗の寺院です。開基は、徳川綱吉の御用人であった柳沢吉保です。開山は、萬福寺八代住持の悦峯道章です。1724年、柳沢氏の転封と同時に大和郡山に移転されました。

 

さらに、南へ向かってウオーキングです。10分ほどで大納言塚に着きました。ここは、豊臣秀吉の異父弟、大和郡山百万石の城主・豊臣秀長の墓所です。土壇の上には立派な五輪塔が立ち、塔には秀長の法名が刻まれています。前庭に敷き詰められた粗い砂は、「お願い砂」といわれ、借りて帰り、願いが叶えば返しに行くというものです。


大納言塚からアピタの横を通過し、金魚資料館に向かいます。すがすがしい青空の下、左右に金魚養殖池を観ながらのすばらしいウオーキングになりました。20分ほどで到着です。

「金魚資料館」の創立者は、故嶋田正治氏です。彼は、昭和30年頃から金魚の生産地見学に訪れてくる人たちに、自営の養殖場を無料開放して説明役を務め、30年間で約10万5千人の見学者を受け入れてきました。その彼の永年の夢が、金魚資料館創立でした。そして、昭和57年、100坪の養魚池を埋め立て、自費手作りで着工・完成させました。

スタッフの説明を聞き、熱き思いを感じながら最後の訪問地・稗田環濠集落に向かいます。

30分ほどで到着しました。ここは、大和の環濠の代表例として有名であり、教科書にもよく記述されており、すでに、室町時代には現在のような形になっていたとされます。東西約260m、南北約260mの規模で、北東側は七曲りとよばれる特異な形をしており、西側と南側は特に幅広くつくられています。内部は、東西・南北に大きな道が通り、そこからさらに細い道が伸びています。道は、T字形に交差したり、袋小路になっていて、遠くが見通せないようになっています。防御に適した構造です。参加者の皆様から『これほど完璧に環濠が残っているのを見たことがない。』と感嘆の声が多くありました。

賣太神社の女性の禰宜さんから、稗田阿礼や古事記についての詳しい説明を聞き、今日のウオーキングのゴール地点・JR郡山駅西口を目指しての最後のウオーキングです。

参加者79名、なが~い10kmでした。